ツール・ロンド南東稜
2015/08/11
旅の後半のメインイベントは、トリノ小屋を起点にしてのツール・ロンド(3792m)とロシュフォール山稜にしました。本来はトリノ小屋連泊の2泊3日行程にして、どちらも早朝から取り付くのが望ましいのですが、時間もお金もゆとりがない我々は、ツール・ロンドへはミディからエルブロンネルへのゴンドラでアプローチする1泊2日の計画です。
プランの往路の日よりも遅めに駅に着きましたが、それでもゆとりで始発のロープウェイに乗ることができました。今日もいい天気になりそうです。
ミディ展望台の中やテラスをふらふら歩き回りながら時間待ちをして、エルブロンネルへのゴンドラには7時半出発の始発三重連に乗ることができました。このゴンドラには昨年も乗りましたが、右手のモン・ブラン・デュ・タキュルの岩壁の眺めは相変わらず圧倒的です。
そしてもちろん、ダン・デュ・ジェアンの姿も見事。
やがてエルブロンネルの近くで、目指すツール・ロンドの姿が間近に眺められるようになりました。見ようによっては振袖を立てたお雛様のように見えなくもありませんが、それにしても雪が少ない感じ。昨日私がホテルのベランダでごしごしとヤスリを使っている間に現場監督氏は例によって「山の家」で情報収集をしてきてくれていて、それによるとツール・ロンドも明日のロシュフォール山稜も「雪がない」と言うことでしたがまさにそんな感じです。ここから正面に見える北壁はアルパインアイスのルートになっているはずですが、このルートもあれでは登れそうにありません。しかし我々が登ろうとしているのは左側のスカイラインを辿る南東稜で、それなら雪があろうがなかろうがなんとかなるはずです。
快適な空中漫歩の後、エルブロンネルに到着。昨年の夏にはまだ古いままだった駅は完全に建て替えられており、驚くほどに近代的なつくりとなっていました。
雪原への降り口がわからずに右往左往した末にやっと見つけたエレベーターの中で、乗り合わせた若者たちは「まるで宇宙ステーションのようだ」と感想を漏らしていましたが、まさに!
そこだけは佇まいが変わらないトリノ小屋の手前を左手に出たところが雪原への降り口で、ここでアイゼンを装着し、ロープを結んで歩き出しました。はっきりとした踏み跡を辿って水平に歩いてフランボーのコルCol des Flambeauxを越えたらグラン・キャピュサンを正面に見ながら左方向へ斜めに下り、何カ所かのクレバスを跨ぎ越しながらジェアン氷河の上を進みます。
エルブロンネルからツール・ロンドへと続く国境稜線上のグラン・フランボーとツール針峰を左に見つつ回り込むようにしてアントレーヴ針峰とツール・ロンドに囲まれた雪原に乗り上がれば、ツール・ロンド南東稜の取付が見えてきます。歩き始めてから約1時間半、ここまではおおむね順調です。
取付まではスノーハイクのガイドツアーもあるらしく、家族連れらしい数人連れがその手前の安定したところで休憩をとっていました。我々はその前を通って雪からガレへと乗り上がったのですが、先行するガイドパーティーのセカンド=ゲストが登り始める様子を見てその岩の脆さには少々恐怖を覚えました。雪がしっかり付いていれば安定しているはずのここで「Be careful! Rocks are moving!」と警告を発してくれた先行ゲストの足元の岩は、ザレ砂の上に危うくバランスをとって積み上がっているだけという印象です。「こんなところはリードしたくない」という私の内心の声が聞こえたのか現場監督氏は黙ってリードを引き受けてくれましたが、2ピッチ目からは岩が安定してきて目の前のジャンダルムを右側から回り込んでぐいぐいと上がることができました。
3ピッチ目で雪田をトラバースして段差を乗り上がるとそこにはしっかりしたビレイステーションがあり、さらに1ピッチのミックスを登ったところで南東稜の上に出ることができました。
南東稜の上からは正面にトサカのような岩峰が続き、その先の右奥にツール・ロンドの山頂が見えていました。左奥はモン・モディからモン・ブランです。
たまにはリードを……と今度は私が先になって、斜めになってはいるものの歩ける平らな岩の上を進んでからトサカの上へよじ登り、続いてナイフエッジ上に手を掛けながら慎重に進んで安定したビレイポイントへ。途中には回収不能になったカムからスリングが出ていて、ランナーをとることもできました。
この先のラインどりで失敗してしまいました。事前の検討によりルートは最初は稜線の右、ついでずっと「左側」を行くということはわかっていたのですが、稜線を絡んで左サイドを行くのではなくぐっと左下に降りていくべきだった模様です。しかし先を行くクライマーの姿が稜線上に見えていたこともあり、アイゼンの跡が岩の上に残っていたこともあって、なるべく稜線に近いところをトラバースするラインを選んで前進したのですが、このためにところどころ際どいピッチを進むことになってしまいました。
上の写真のトラバースピッチは抜け口が手掛かり少なく、右の写真の滑りやすいスラブは右壁のコンタクトラインの細いクラックとスラブ上のかすかな凹凸が頼りという際どさでした。
ガイドパーティーならコンテでぐいぐい進むであろうこの南東稜のアプローチを、我々はスタカットとコンテを交互に使って時間を浪費しながら手探りで進みましたが、それでもどうにかツール・ロンドへの最後の登りの手前にあるフレッシュフィールドのコルCol Freshfieldに降り立つことができました。十分に雪がある時期であれば、下の雪原からこのコルの先へとダイレクトに突き上げるラインがあって1時間半で取付から山頂まで上がれるそうですが、雪のないこの時期にそのラインを用いたパーティーはなかったようです。
ここで既に登頂を終え下降を始めている先行パーティーとすれ違ったのですが、彼らは予想外に低い位置をトラバースしていきます。あれが正規ラインだったのか?と悔やんでも後の祭りですが、それでも帰路のヒントをもらうことができたのはラッキーでした。
フレッシュフィールドのコルからは難しいところはなく、しばらくザレ混じりの岩場を登った後に雪面に移り、その先で頂上の岩場にぶつかりました。先ほどから山頂で誰かが我々を見下ろしているのが見えていたのですが、ここまでくればその正体もはっきりしてきます。
易しい岩場を登って、最後の山頂への一歩は現場監督氏が私に先を譲ってくれました。アイゼンをガリガリ言わせながら攀じ登った山頂で待っていてくださったのは、このマリア像です。
後から山頂にやってきた現場監督氏は、何を思ったかいきなり「歌います!ア〜ヴェ・マリ〜ア〜」と大声で歌うと、マリア様に祈りを捧げました。現場監督氏にそういう趣味、いや、信仰心があったとは今の今まで知りませんでした。
マリア様の向こうにはモン・ブラン。周囲の山が高いために高度感があまりありませんが、それでもここは富士山の山頂よりも高い位置です。トポでは取付からここまで「2時間半から3時間」とされていますが、我々は手探りの登りで4時間もかかってしまいました。
山頂で満ち足りた時を過ごしたら、元来た道を戻ります。まずは山頂岩場を懸垂下降で1ピッチ。
雪稜は部分的に硬いところもあるので、バックステップを交えて。さすがに新品のアイゼンの前爪はよく刺さって、なんの不安もありません。向こうのゴジラの尻尾のように見えるリッジが先ほど登ってきた南東稜ですが、先ほど学習したように稜線通しではなく右斜面を絡んで下るつもりです。
……と言っても、そう簡単ではありませんでした。一応踏み跡は続いており、要所要所にケルンも積まれていて助かるのですが、雪が完全に消えているために崩れやすく滑りやすいザレとガレのトラバースは、神経をすり減らします。
しっかりした岩塔を見てそろそろリッジの左側を意識しなければならないのでないか?と稜上に上がりましたが、だんだん自分たちがどのへんにいるのかわからなくなってきました。
小さな懸垂下降を経て降り立った先は、私が唯一リードしたナイフエッジの先のビレイポイントです。やっと明確に現在地点を認識することができました。
ここから元来たリッジを忠実に進むには悪いクライムダウンがあり、ナイフエッジを過ぎたところから意を決して懸垂下降に移ることにしました。実は、行きの途中の「しっかりしたビレイステーション」から下の方に懸垂下降支点のスリングが残置されているのを目にして、この辺りで左下の雪面を目指すのだろうとあらかじめ見当をつけていたのでした。
スタックしたロープを外すために登り返したり、シュルントを避けるために下降ラインをアントレーヴ寄りに修正するために登り返したりして時間を使いながら、それでも4回の懸垂下降でロープの末端が眼下の雪面近くまで達しました。しかし最後の3mが足りず、シュルントの上をジャンプ!
どうにか雪はもってくれて、無事に雪面に降り立つことができました。この時点で時刻は18時で、下りにも3時間半を要したことになります。宿泊の予約はしてありますが、これでは夕食にはもうありつけないかもしれないな……と思いながらトリノ小屋を目指しました。
下りの安逸があれば登り返しの苦難もあるのが山屋の宿命というもの。我々の非力をあざ笑うかのようなツール・ロンドのシルエットを背後にしながら、ありつけるかどうかわからない夕食を目指して苦行の歩きが続きます。マリア様、どうかお助けください。
戻ってきたアントレーヴのコル周辺にはテントが数張りありました。ここは岩陰で風をしのぐことができ、展望はもちろん一級品、水の補給にも困らない最高の幕営地です。そうした羨ましいテントを横目に見ながらなおも歩き続けて、やっと最後の平坦な踏み跡に辿り着きました。
トリノ小屋着は19時半。ギアから解放されて、とにかく中に入ります。
入口から階段をとんとんと上がったホールの角に受付があり、そのいかにもイタリアン・ダンディーなおじさんに名前と予約してあることを告げると、受付は後でいいからリュックサックを左手の部屋に入れて食事をとりなさいと言ってくれました。なんとうれしいお言葉!そして「オイシイデス」「チョット?」などと片言の日本語を駆使するこれまたラテン系の気のいい食堂担当がよそってくれた夕食は、トマト味のスープと煮込んだソーセージ、クスクス、それにデザートはプリン。ほうれん草の料理もあったようですがさすがにもう品切れでした。しかし、これだけでも十分満足です。
すっかり満ち足りたところで改めて受付の手続を行いましたが、高いお金を出して手に入れたフランス山岳会のメンバーシップカードのおかげで、宿泊代は当初予定よりも€10安い€45ですみました。
この小屋は受付のある階に食堂、バー、そして左上の写真のように荷物をまとめて置く部屋があり、ここは言わば巨大乾燥室になっています。各自の荷物はポリ箱に入れて管理するようになっており、登山靴もここに置いて備え付けのサンダルに履き替えてから寝室へ向かう仕組みです。その寝室はどうやら2階が個室で3階がいくつかの大部屋になっており、我々が入った大部屋には2段ベッドが並んでいてゴワゴワの毛布が1人につき2枚あてがわれていましたが、1枚だけで十分暖かく眠ることができました。
だいたいの整理がついたところで小屋の外に出てみましたが、21時頃でもまだ空は明るく、夜の帳が訪れる気配もありません。
明日はダン・デュ・ジェアンの肩から奥へと続く美しい雪稜ルートであるロシュフォール山稜の予定でしたが、この日の奮闘ですっかりお腹いっぱい……というより疲労困憊。肉体的な疲労はさほどでもないのですが、自分たちの遅さに精神的に疲労し、さらには帰路に見上げたダン・デュ・ジェアンの雪をまとわぬ黒々とした姿にも落胆してしまって、夕食時の協議でロシュフォール山稜は諦めてミディへ戻ることにしていました。ただしせめてもの意地を発揮して、ゴンドラで戻るのではなく氷河を渡って徒歩で戻ります。