塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

出発 / 昌慶宮・昌徳宮・宗廟

2020/01/24

前回は羽田→金浦でしたが今回は成田→仁川。ほぼ始発電車に乗って着いた成田空港で同行のヨーコさんと合流し、9時5分発の大韓航空機に乗って韓国に渡りました。

仁川空港からはリムジンバスでソウル市内へ向かいましたが、バス内のディスプレイでは武漢を起点に感染が広がり始めている新型コロナウイルスへの注意喚起が放映されていました。

さらにローミングで韓国のキャリアにつながった状態の手元のiPhoneにも仁川広域支庁からの「緊急速報」が入ってきて、新型コロナウイルスの予防措置を講じると共に発症時は1339コールセンターまたは保健所へ連絡するようにとの注意を受けました。新型コロナウイルスに対する韓国政府の危機感がひしひしと伝わるこれらのアナウンスに、日本との温度差を感じました。

さて、空港から1時間半ほどで昨年と同じ東横イン東大門2に着きましたが、チェックインできる時刻まではまだ間があるので、荷物をホテルに預かってもらって市内観光に出ることにしました。昨年は東大門から北に伸びる城壁を適当に辿りましたが、今回はあらかじめヨーコさんのリクエストがあって世界遺産の昌徳宮と宗廟を訪ねることにしてあります。地図を見るとホテルからそこまでは徒歩30分程度と思われたので歩いて行くことにしたのですが、確かに気温が高い。昨年の身を切るような寒さはまったくなく、手袋をしなくても普通に歩ける状態であることに韓国の暖冬を実感しました。

地図を見ながらてくてくと歩いて最初に着いたのは昌慶宮창경궁チャンギョングンです。李朝の世宗元年(1419年)に建築された寿康宮の址に、成宗の祖母であり世宗の王妃である貞熹王后、母の明恵王后、叔母で前王妃の安順王后の3人のために成宗14年(1483年)に建設されたもので、そのために政治空間である外殿よりも生活空間である内殿が重視された構造になっているとされます。

弘化門から入ると正殿である明政殿に通じる明政門があるはずですが、あいにく今は工事中。そこで春塘池や大温室がある後苑を散策してから内殿に入り、王妃の寝殿である通明殿や側室の居所である集福軒などを見てから、裏側から正殿・明政殿と、王が日常業務を行う文政殿、読書などに使われた崇文堂などを見て回りました。明政殿や弘化門は文禄の役(1592年)に伴う荒廃後の1616年に再建された建物ですが、19世紀に殷賑を極めた建物群は植民地時代に多くが取り壊されて動物園・植物園となり、ようやく1983年から宮殿としての復元が進められつつあるそうです。

続いて門をくぐって隣の昌徳宮창덕궁チャンドックン〈世界遺産〉に入りました。1405年に景福宮(現在青瓦台がある宮)の離宮として創建され成宗の正宮とされた王宮です。現在の韓国国内の宮殿の中で最も創建時の面影を残しているとされ、ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』のロケ地にもなりました。

緑と朱色を基調とする装飾を施された熙政堂や宣政堂、さらに正堂である巨大な仁政堂を見て回っているうちに、いつの間にか時間がなくなってきました。

昌徳宮はこれら建築物群の背後にある広い後苑の庭園美にも価値があるそうなのですが、残念ながら今回はパス。南側にある宗廟종묘チョンミョ〈世界遺産〉へと急ぎました。

宗廟は李朝・大韓帝国の歴代の国王・王妃・功臣などを祀る祖先祭祀場です。

李朝の創設者である太宗をはじめ19人の王とその妃の位牌を安置する正殿を中心に、永寧殿、功臣堂などの建物が地形に沿って斜めに並び、さらに今でも祭礼と祭礼楽が保存されて祭祀が行われている点が特徴だそうです。このように祖先崇拝が重みを維持している点は、いかにも韓国という気がします。

ところで、韓国では1月1日も休日ではありますが、それよりも旧正月설날ソルラルの方が連休になるのだそう。今年の旧正月は1月25日で、その前後の24日と26日も休日ですが、26日が日曜日であるために翌27日が振替休日になってなんと四連休。そんなわけで町中を歩いてみると、休業中の店舗やこれと入れ替わりに活況を呈している屋台などが目立ちます。そんな様子をひとしきり見て回ってからホテルに戻って荷物を部屋に入れ、すぐに夕食をとるために外に出ました。向かった先は昨年と同じ日本語ぺらぺらのご主人が経営している焼肉店で、ここには去年も来たと告げると愛想よく迎えてくれました。しかしこのご主人、どうやら日本語だけなく英語もぺらぺらのようで、ずいぶんインテリです。また次回ソウルに来る機会があったら、彼の学識の所以を聞いてみようと思いました。