塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

ナムチェ・バザール〜クンデ・ピーク〜クムジュン

2018/04/14

例によって朝は快晴です。外を見ると、ナムチェ・バザールの正面にはボーテ・コシの深い峡谷をはさんでコンデ・リ(標高6187m)が白銀の輝きを見せていました。

この青空を見て沙織さんは「私が来てから天気がいい♫ 雨が降った一昨日も飛行機は飛んだし。ぐふ、ぐふふふ」と若干キャラが崩壊気味。これも高所に近づいている影響なのか?それはともかく、やはりトレッキング3日目ともなると、お腹の調子がおかしくなる者が何人も出てきました。

サンドイッチと海苔を巻いた餅とうどんの組合せの朝食をとったら、澄んだ空気の中を出発です。この日の行程は先に進むことが目的ではなく、標高を上げて高度順化を図ることに重点があります。

ナムチェ・バザールの背後の斜面を登ったところから見下ろすと、このようにすり鉢状の地形がはっきりわかります。そしてその向こうには、逆光の中にタムセルクが聳え立っています。

今までは川筋の道で一種の圧迫感に囲まれていましたが、開放的な尾根の上へと続く道を歩くのはやはり気分が良いもの。

やがて標高3800mのシャンボチェ空港に出ました。空港といってもこの通り舗装もされていない牧歌的な姿ですが、かつてここにルクラからの定期便を飛ばす計画もあったものの、それでは商売上がったりになるトレッキング道沿線のロッジ主たちの猛反対にあってその計画は実現を見なかったという話をネット上で見掛けたことがあります。それでもここには、Hotel Everest Viewに泊まろうとする客をカトマンドゥやルクラから運ぶヘリコプターが着陸することもあるようです(費用はいったいいくらかかるんだろう?)。

小休止の後にさらに高度を上げていくと、いよいよ期待していた眺めが広がりだしました。

ついに、長年の憧れであったエベレスト(8848m)の姿を自分の目で見ることができました。この写真ではちょっとわかりにくいのですが、エベレストの南側には横に長い前衛峰ヌプツェ(最高地点は7861m)があり、エベレストはその向こうに山頂部分をちらりと見せているだけ。しかし、エジプトの屈折ピラミッドを連想させる独特の形は見間違えようがありません。また、エベレストの右にはAGエベレスト隊が連続登頂を目指しているローツェ(8516m)が尖った山頂を見せており、そこに渦巻く白い雲はエベレスト周辺の風が厳しいものであることを如実に示しています。そしてこれら8000m峰の手前には、ある意味今回の旅の主目的であったアマ・ダブラム(6856m)が見事なまでの大きさで聳えていました。今回の旅を計画するにあたっての眼目の一つが「母の首飾り」という意味を持つアマ・ダブラムを眺めることだったのですが、こうして見ると期待以上の美しさと大きさに惚れ惚れしてしまいます。ちなみに、泡爺と沙織さんは昨年の秋に、やはりAG隊としてあの山頂に立っています。

背後の眺めを気にしながら、前方の尾根に向かって歩行継続。途中の谷には石組みの大きな囲いが連なっていましたが、これは牧場なのかな?

尾根に乗り、途中に休憩をはさみながらゆっくりゆっくり高度を上げていきます。ここでもバラサーブは繰り返し「お水飲んでー」「深呼吸してー」と号令をかけながら先を進みます。

やがて標高が4100mを越えたあたりの平坦地に、エベレスト初登頂者であるエドモンド・ヒラリーとその愛妻ルイス、次女ベリンダの3人を祀るモニュメントが立っていました。ヒラリー自身は2008年に祖国ニュージーランドで88歳の長寿を全うしたのですが、ルイスとベリンダは1975年にヒラリーの元に向かうために乗っていた飛行機の事故でカトマンドゥで亡くなりました。このモニュメントは、ナムチェ・バザール周辺の開発に貢献したヒラリーを偲んで2009年に建てられたものです。

それにしてもこの景色!息を呑むとはまさにこのことです。

また、この尾根の左側にはボーテ・コシの谷が奥深く伸びていて、奥にターメの町、さらにその先には雪をかぶった高峰の連なりが見えていました。この道はチョ・オユー(8201m)の西にある標高5806mのナンパ・ラ(「ラ」は「峠」の意)を越えてチベットに通じており、古くからの通商・巡礼路となっています。

ヒラリー・モニュメントのすぐ近くには小さいピークがあり、道はその右側を巻いて向こう側のコルに通じていました。「○○と煙は高いところに登りたがる」という格言の通り、近くに高いところがあればやはりその上に立ちたくなるのは山屋の本能。荷物をデポして道を辿り、そちら側からピークの上に立ってみると、タルチョはためくこの眺めが待っていました。

一般にクンデ・ピークとして認識されているのはこの尾根のさらに先にある突起ですが、どちらにしてもいわゆる「ピーク」という概念は当てはまりませんし、ここに上がる目的は標高4000mを越えての高度順化ですから、今日はここまでとしてクンデに向かって下ることになりました。

眼下のクンデの村へは尾根を少し戻って、斜めに下るよく整備された道を下降します。

青い屋根の連なりが美しいクンデの村。周囲の畑はジャガイモ畑。しかしこの日の泊まりはこのクンデではなく、その少し先にわずかに下ったクムジュンです。

途中にはマニ石の代わりに経文を刻んだ石板を積み上げたメンダンがありましたが、バラサーブ曰く「ここから石を持っていったやつは、必ず死んでいる」。具体的に名前をあげてのおどろおどろしい解説に恐れをなしながら20分ほど歩けば、緑の窓枠がきれいな今宵の宿Green Land Lodgeに着きました。ちなみに、この辺りの建物はなぜかどれも真新しくペンキを塗られたように見えて不思議です。

この辺りから、手ピカジェルはテーブルにつくときの習慣として定着していきます。そして昼食は海苔巻きとツナ・ピザ。どれもおいしく文句は一切ないのですが、それにしてもコックのバルによる献立のセンスがどうしても理解できません……。

この旅の吉例なのか、午後はやはり天気が悪くなってきました。そんな中、希望者はパサン・タマンの案内でクムジュン見物に出掛けることになりました。まず向かったのは、Samten Choling Gompaです。

雪男イエティの頭(Yeti Skull)があるというのがこのお寺の売り文句で、300ルピーを払って中に入ると木枠のガラス箱の中に毛のついたヤシの実を半分にしたようなブツが鎮座していましたが、その正体はまったく謎です。また、その向こうの仏像の思い切り見開いた目がユーモラスですが、脇侍仏(?)の腰を少し横に張ったポーズにはたとえば薬師寺の薬師如来三尊像に見る日光・月光菩薩を連想しました。

しかし、壁に描かれたこれら男女交合の仏母仏は日本にはない意匠です。2010年に上野でチベット仏教美術の展覧会を見たときにこの彫刻に出会ってびっくりしましたが、これは智慧(女性原理)と慈悲(男性原理)との一致を体現した仏陀の境地を表しているのであって、カーマスートラ的な快楽の表現ではないんですよ、タムさん!

寺院を辞して、ヒラリーが開いたという寄宿制の学校を訪ねてみました。この日は授業はおやすみで霧の中に立つヒラリーの胸像が寂しそうでしたが、パサンの説明によれば、観光業で潤っているシェルパ族は子弟をカトマンドゥで学ばせており、ここではそこまでお金持ちではない民族の子供たちが学んでいるのだそうです。

帰りに宿の隣にあるベーカリーに立ち寄ってみました。何人かは先にここにたむろしていて、オムマニベメフムを無限にリピートするBGMを聴きつつドーナツとコーヒーをいただきながら山談義を交わしていたのですが、沙織さんはここでうっかりヤクミルクを飲んでしまい、この日から長期にわたってお腹の不調に悩まされることになりました。

モモをメインとする夕食(副菜にゴーヤが登場したのは驚き)のあと、AG隊の2011年5月のエベレスト登頂の様子をルポした番組(高所での撮影は平出和也氏)を皆で視聴しました。35歳のOLであるkumiさんが登頂を果たす姿を追ったもので、隊員に対して「登頂は約束されたものではない」ということを伝える意図があったようですが、ルポの中ではバラサーブと深い交わりのあったクライマーで重広恒夫氏と共にエベレスト北壁の初登者でもあった尾崎隆氏の標高8600mでの遭難死のエピソードも紹介されていました。私は尾崎氏の著書『幻の山、カカボラジ』を読んでいたので、同氏のことがとても身近に感じられたのですが、このときエベレストBCにいたバラサーブ率いるAG隊の高所ガイド3人がC2から2000m以上の標高差がある死亡現場まで尾崎氏の遺体を回収しに行ってくれたという話には胸が熱くなりました。彼らの活躍に加え、サウスコルからは他の隊の高所ガイドも支援してくれてC2まで遺体を下ろすことができ、尾崎氏の亡骸はそこからヘリで下界へ降りてこられたのですが、バラサーブは後日そのことで各国の隊から「余計なことをした」と責められることになったそうです。なぜなら、それまで8000m超の高所では遺体回収は不可能と思われていたのにAG隊が実現してしまったために、翌年から遭難者が出たときには遺体を回収することが各隊に義務付けられてしまったからです。ただし、では高所で亡くなった登山者の遺体は実際に回収されるようになったのかと言えばさにあらず、回収不能となるように稜線から落とされることになってしまったという話でした。

ところで、この日の夕方を境にまずかみちゃんが高山病を発症してしまいましたが、それもそのはず、この宿の標高は3800mくらい。この旅で初めて富士山より高いところに泊まることになるわけです。

▲この日の行程。