塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

カトマンドゥ - スワヤンブナート / ボダナート / パシュパティナート

2018/04/30

朝食のときに、先にカトマンドゥに帰っていたひろみさん、みこママ、トコちゃんの3人と再会することができました。いずれも元気そうで何より!我々ノンヘリ組もトレッキングが予定通りの日程で終了したおかげで、この日はカトマンドゥで丸1日レストできることになりました。そこでコスモ・トレックから車とドライバーを出してもらって、カトマンドゥの主要寺院を回るオプションツアーを組むことになりました。引率は水生さん、参加者はちえさん、みのっち、私です。

Sakya Mahakala Temple

まず向かったのは定番のスワヤンブナートですが、車はカトマンドゥの外縁部をぐるっと囲むリングロードを使ってアプローチし、リングロードを時計に見立てると9時半くらいの位置にあるこのSakya Mahakala Temple(Buddha Park)の前で我々を降ろしました。

入り口の門の上にある法輪と鹿のデザイン(鹿野苑の初転法輪)はチベット仏教にはおなじみのもの。非常にカラフルでキンキラキンに輝かしい仏様たちの姿からこの寺院が比較的新しいものであることは想像がつきますが、詳しい由来は不明です。

3体並んでいるうちの向かって右端の武人の姿をした像が、実に凛々しい。日本なら四天王像が周りを囲んで本尊を守護するところですが、彼は1人で4人分の働きをするのでしょうか?

他にもさまざまなモニュメントがあり楽しいところでしたが、とにかく人が多い!そして修行僧のような姿をした怪しい人物もうろうろしていて、みのっちはそうした中の1人に額に赤い色素を塗られて喜捨を求められていました。どうやらこの日はネパールの暦でお釈迦様の誕生日にあたる日であったらしく、境内の一角では灌仏会でおなじみの、天上天下唯我独尊の誕生仏に甘茶(?)を掛ける儀式が行われていました。なるほど、それでこれほど賑わっていたのか。

スワヤンブナート

Buddha Parkを出て、右手の参道をスワヤンブナート(स्वयम्भू स्तूप)へ。参道沿いには出店が多く、さまざまな装身具や仏具、さらには子供向けにハローキティやドラえもんが売られていて驚きましたが、自分にとってのツボは近代兵器ソーラーマニ車が売られていたことでした。

この日の人出をあてこんだと思われる大きな献血テントの前を通ってスワヤンブナートへ向かうこの道は、おそらく裏参道ということになるのだと思います。中に入るとまず出会ったのは猿で、別名「モンキー・テンプル」というくらいこのスワヤンブナートは猿が多いことで有名です。ついで、池の真ん中に立つ仏像の足元に向かってお賽銭を投げる仕組みが目に留まりました。池に落ちたお金は定期的に水を抜いて回収するのかな?

そして階段を上がり最上段の境内に入ると、小さなチョルテンがぞろぞろ並んだ広場の一角で人々が賑やかにお祈りしている姿を見掛けました。そこから中央のストゥーパの周りを時計回りに回ると火のついたロウソクに囲まれた大金剛杵が鎮座していて、いかにも密教の雰囲気を強く漂わせています。

こちらがスワヤンブナートの仏塔。実に立派です。その脇にはインド風シカラ様式の仏塔も建っているのですが、地震による被害をまだ修復中で、工事用の足場に囲まれた痛々しい姿でした(左奥にちらっと見えています)。

ストゥーパの近くの展望台からは、標高1300mのカトマンドゥ盆地を一望することができます。伝説によればかつてこの地は湖で、ここにやってきた文殊菩薩が剣で切り開いたところから水が流れ出たために盆地が出現したとされています。スワヤンブナートはそれまで島であったこの丘に盆地出現前から存在したとされていますが、それは伝承であるとしてもここがカトマンドゥ最古の寺院であることは間違いがないようです。そして、カトマンドゥが実際に8000年前までは湖であったことは地質学的にも確認されており、そのために土地は肥沃ですが、脆弱な地層が地震に対する弱点となっています。

ストゥーパの壁龕に祀られている仏像に熱心に手を合わせて回る敬虔な信者の姿や、鬼子母神堂の美しい装飾をひと通り眺めてから元来た道を戻りました。

ボダナート

今度はカトマンドゥ市街の東の郊外にあるボダナート(बौद्ध स्तुप:現地の呼称はボダナート)へ向かいました。ここはカトマンドゥがチベットとインドの間の交易路の中継地点として発展した時代に、ラサからヒマラヤを越えて来た商人が往路の無事を感謝し、帰路の安全を祈ったところで、そのためか現在では亡命チベット人が多数この周辺に住み着いているそうです。

おお、大きい!しかし、その前にお腹がすきました。

大仏塔の周りを囲む建物にはさまざまなレストランが入っており、我々はその中のベトナム料理店に入って昼食をとりました。大変洗練された内装の店内で、これまた洗練されたベトナム料理をいただき満足。水生さんは車を降りるときにコスモ・トレックの運転手さんに「30分くらいで戻るから」と言っていたように思うのですが、ここだけで1時間以上も費やしてしまいました。いいのかな?

レストランの窓から見下ろすと仏塔の周囲は1段高いテラスに上がれるようになっており、そこをユルい感じで信者の皆さんがぐるぐると回っています。これは我々も(山屋なんだし、一応仏教徒だし)登ってみなくては。

仏塔の周囲にあるのはレストランだけではありません。こうしたチベット寺院もあって、トレッキングの途中で見たように金ピカに装飾された仏像の前には、ダライ・ラマをはじめとする高僧の写真が飾られていました。

仏塔の周りをそぞろ歩くと、こんな感じになります。明治神宮の初詣などと違って、殺気立ったところがないのがいいところです。

この入り口からテラス部分に上がることができますが、入り口左にある注意書きには煙草や酒はダメ、ペットはダメ、ドームに登るな、などの禁止事項が列記されています。そしてその一番下には、次の記述がありました。

Please contact our office for making offering of Prayer flags and White paint.

なるほど、これは日本のお寺で祈祷をお願いするようなものなのでしょうが、White paintというのが面白いところです。

テラスに上がって見上げると、ますます大迫力。仏塔の大きさやブッダアイの目ヂカラもさることながら、タルチョの膨大な質量感が強烈です。

こうしてボダナートをひと通り見てまわり外に出たのは、車を降りてから2時間ほどもたった後でした。運転手さんとはコスモ・トレックを介して連絡がついたのですが、離れたところで待機していた彼が大渋滞に巻き込まれつつやっとの思いで我々の前に姿を現したのは、それからさらに1時間後でした。

パシュパティナート

最後に足を向けたのは、ネパール最大のヒンドゥー教寺院であるパシュパティナート(पशुपतिनाथ मन्दिर)です。シヴァ神の化身の一つである金の角を持つ鹿パシュパティの名を冠する通り、このパシュパティナートはインド亜大陸の四大シヴァ寺院の一つです。

もっともヒンドゥー教徒でなければこの寺院には入れないので、異教徒である我々の関心事は寺院そのものではなく、隣接する火葬場での火葬に向かいます。ところが火葬場に近づくにも入場料が必要で、その値段はなんと1,000ルピーとこの国の物価水準からすると破格の高さ。これがネパールに着いた直後だったら何も考えずに支払ったかもしれませんが、既に3週間もこの国に滞在していて金銭感覚が現地化している我々には、とてもこの高額を払う気がおきません。しかし、そこで簡単には諦めないのがAG魂です。裏手の丘に上がって寺院の方を見下ろしながら歩いていくと、どうやら火葬場の上流に通じているらしい階段を見つけることができました。

火葬場はガンジス川の支流である聖なるバグマティ川に面し、その上にかかる橋や対岸の観覧席のようなところから見下ろすことができる作りになっています。最上流の火葬台は王族専用で、地位が下がるほど下流で火葬されるそうですから、対岸の観覧席は身分の高い人物の葬儀の際にこれを見送る人たちのためのものなのでしょう。輪廻転生を信じ墓を作らないヒンドゥー教徒は、ここで荼毘に付されると遺灰をバグマティ川に流されます。この川は下流でガンジス川に合流するので、その遺灰は聖地ヴァラナシに達することができるわけです。

急な階段を降りて川に近づいていくと、その下流の方にある火葬場では今しも遺体を焼く炎が上がっているのが目に入りました。道は階段を降りきったところからその火葬場へと通じていましたが、観光客の興味本位で火葬場に近づくことはさすがにはばかられ、遠くから見守るだけにしました。

▲この日回った寺院とダルバール広場、フジホテルの位置関係。フジホテルのほぼ真西にスワヤンブナート、東の方にボダナートとパシュパティナート。

夕食は全員で、再びかみちゃん御用達Kathmandu Kitchenで、おいしく飲んで、おいしく食べて。

しかる後、水生さん、ひろみさんとの3人でバー「Tom and Jerry」へ。

AG隊はじめ各国の登山隊が愛用しているらしい店内にはそれぞれの登頂記念のTシャツが折り重なるようにぶら下げてあり、そこに我々ロブチェ隊の記念Tシャツも加えてもらいました。これで本当のミッション・コンプリートです。