塾長の渡航記録
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塾長の渡航記録

パンボチェ〜ディンボチェ

2018/04/16

この日も(これからもずっと)目覚めのパルスオキシメーターで一日が始まりました。

早朝の空は雲に覆われて真っ白。雨模様なのか?と思ったのですが、朝食をとっているときにヘリコプターの飛ぶ音が聞こえてきました。これは、上空は晴れている証拠です。

思った通り、出発の時刻には青空が広がっていました。

まず向かったのは下流方向に徒歩20分、斜面の少し高いところにある寺院です。真っ正面にカンテガやタムセルクを見上げる素晴らしいロケーションにあるこの寺院で僧侶からお祈りをしてもらうことは、エベレスト・エクスペディションのルーチンにがっちり組み込まれています。

ここにはイェティの頭と手がある模様。希少価値が一気に下がってきましたが、可哀想なイエティはいったい何体捕獲されているのか……。

お祈り代も含め500ルピーを払ってゴンパの中庭に入ると、フレンドリーな笑顔の女性たちがねじって揚げたクッキーのような菓子を勧めてくれました。大変美味ですが、これは単なる拝観者向けサービス?それとも何か宗教的な意味があるのでしょうか。

お祈りの部屋は撮影禁止なので写真はありませんが、うろ覚えながらその様子を再現してみるとこんな感じです。

祈りの部屋は狭い階段を上がった2階の長方形の部屋で、その奥まった短辺のところに窓があり、僧侶はその出入り口から遠い方に座っていました。僧侶の右側のベンチにエベレスト隊のメンバーが並んで座り、ロブチェ隊のメンバーは地元の主婦風(?)の女性信者2人と共に長辺にしつらえられたベンチやその前の床に座ります。まだ若そうな僧侶(昨年まで祈ってくれていた高僧は数カ月前に遷化したとのこと)の前の文机の上には横長の経典が置かれ、その上には太鼓がぶら下がっており、また部屋の梁には伎楽面を連想させるさまざまなお面、そして柱の上から五色の飾りが垂れています。僧侶は曲がった柄のついた撥で太鼓を叩き、経典を次々にめくりながらすごい早口でお経を唱えていき、さらに途中で米粒を宙にばらまきます。参列者にも米粒が配られ、勝手がわからないままに我々も米粒撒き。やがて地元主婦たちは立ち上がって僧侶に手を合わせ、お布施らしきものを渡したところ、僧侶は祈りを続けながら窓際に置いてあった謎の白い液体をPETボトルに移して主婦たちに渡しました。主婦たちが大事そうにそのPETボトルを自分のデイパックに入れて引き上げていったところで、今度はプラチリが隊を代表してお布施を渡してから、我々は立ち上がって米粒をいただき、部屋の中の仏像や高僧の肖像画に頭を下げて回って元の位置に戻ります。最後に、僧侶から一人一人カタ(シルクのスカーフのようなもの)を首にかけてもらって、もう一周拝んで回って退室です。

このお祈りは、加護への期待もさることながら、隊員たちにある種の覚悟を自覚させる効果があったようです。エベレストBCをゴールとする自分が、エベレスト・エクスペディションの一員としてエベレスト隊のメンバーを心の底から応援しようと思うようになったのも、このお祈りが契機であったように思います。

1階の祈りの間は典型的なチベット仏教寺院の作りで、奥の仏像に向かって真ん中→左→右と列を変えながら拝礼し、さらに噂のイエティの頭や手と対面してその悲しい運命に思いを馳せてから、寺院を後にしました。

川沿いの高いところをトラバースしていく道の眺めは素晴らしく、とりわけ行く手に聳える巨大なアマ・ダブラムの姿は圧巻です。

敬虔な心持ちで眺めるチョルテンとアマ・ダブラムの組合せには言い知れぬ旅情を感じますが、左奥に見えているローツェ南壁の黒い三角形も見逃せません。そして、この辺りからはっきりと樹木が減ってきました。

岩壁に描かれた極彩色の仏画の下を回り込んだ先に、ショマレの村が見えてきました。

ここでティーブレイク。壁にはタムさんの大好きな父母仏が満載のタンカ(壁掛けの仏画)。

幅の広い河岸段丘のような地形の上を、道は真っすぐ水平に続きます。

ここで川は二俣となりました。イムジャ・コーラの本流は右(東北東)で、その先にあるのはイムジャ・ツェ、すなわちアイランド・ピーク(6,189m)です。一方、エベレストBCは左俣(北北西)にあたるクーンブ・コーラを遡ってトゥクラから北北東に向かった先にありますが、ここではいったんそちらへの道を離れて、右のイムジャ・コーラ右岸を遡上します。

二俣からひと登りした先に、ディンボチェ(標高4,410m)が見えてきました。ここはこのトレッキングで初めて連泊することになる村であり、同時に初めて標高4,000mを超えたところで夜を過ごす場所でもあります。

いかにもネパーリーなネーミングのYak Lodgeに着いたのは午後2時頃。昼食は喉の通りが良いそうめんです。隊としての今日の行動はここまでですが、自分は高度順応を兼ねて一人で軽い散歩に出ることにしました。

午後のどんよりとした曇り空の下、雨具を着込んで向かった先は、村に入ったところで道の左手から我々を見下ろしていたつぶらなブッダアイの仏塔です。村の中の道を少し戻り、仏塔の立つ丘を呼吸を意識しながらゆっくり登っていくと期待通りのきれいな仏塔でしたが、その周りにたむろしている立派な角のヤクが見慣れぬ外来者(私)を胡散臭そうに見つめてきたので、あまり長居はできませんでした。

そこに道があれば高い方へ足を運びたくなるのは、山屋の本能。ブッダアイのきれいな仏塔の少し奥には風雪に耐えた雰囲気の古い仏塔があり、そこに登ってみるとさらに奥の尾根の上に向かって道が続いています。いつの間にか雪も降り始めていますが、歩くことがだんだん楽しくなってきており、この地形なら方向を見失うことはないだろうと見極めて先に進むことにしました。

なんという僥倖!尾根の先のタルチョが張り渡された場所に着いたときに、雲が切れて青空が見えてきました。

さらに少し上がったところにはケルンが林立しており、正面にはアマ・ダブラムをこれまでとは異なる角度で見上げることができました。

ケルンの先にもタルチョがはためいている場所があり、今回はここにしばらくとどまってから宿へ戻ることにしました。谷の奥にはチュクンの集落があり、その向こう見えている早池峰山のような形の白い山はアイランド・ピークに違いありません。

振り返れば二俣の左にアマ・ダブラム、右に威圧的な岩壁を見せつけるタブチェ(6,495m)とアラカンツェ(6,423m)。タブチェの隣のチョラツェ(6,335m)は隠れて見えていないようです。

それにしても、いくら眺めても見飽きることがないのはやはりアマ・ダブラムです。この山はどこから見ても本当に立派ですが、この角度から見ると優美というより豪快な印象で、もし「アマ・ダブラム=母の首飾り」という女性的な名前がついていなければ「ヒマラヤの團十郎」と呼んでもよかったかもしれません。

思う存分展望を楽しんでから、イムジャ・コーラの上流側に続く斜めの道を下って村に戻ることにしました。宿の屋根はいずれも同じような緑色をしていますが、複数の建物の集合体となっているYak Lodgeの平面構造をあらかじめ覚えてあったので一目瞭然、迷う心配はありません。

夕食はこんな感じ。毎日たくさんの野菜をとれるのはありがたいことです。

▲この日の行程。

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