塾長の渡航記録
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塾長の渡航記録

パクディン〜ナムチェ・バザール

2018/04/13

午前6時、昨夜の予告通り寝起きのSpO2を測りに水木さんがやってきた後に、ネパール・スタッフが洗面器いっぱいのお湯(タトパニ)を持ってきてくれて、これで顔を洗ってさっぱりしました。外に出ると、宿の正面には澄み渡る空の下に雪をかぶった山。これを戸口に立って見上げていると、温厚そうな風貌の宿のご主人が流暢な日本語で「おお、雪が降りましたね!」と声を掛けてきました。

お粥とホットケーキというこれまた不思議な組合せの朝食をとってから出発準備にかかっていると、とても人懐こい犬2匹が我々の周りをうろうろ。カトマンドゥやルクラではいかにもやる気がなさそうに寝そべっている犬ばかりでしたが、ここから先で見掛けた犬たちはおおむね活動的で、後で記すように、驚くような場所にまでついてきたりしていました。

人懐こいと言えばやはりトコちゃん。ここでもご覧の通り、宿のご主人とそのファンキーな娘さんとすぐに仲良くなっていました。

今日のトレッキングは、ドゥード・コシ(「コシ」は「川」の意)に掛かる吊り橋を左岸から右岸へと渡ることから始まりました。こうした吊り橋をこれから何度も渡ることになるのですが、いずれも金属でがっちり作られており、揺れはするものの安心感があります。それもそのはず、この吊り橋は荷物を目いっぱい背負ったロバやゾッキョ、ヤクの隊列が一度に渡ることもできる強靭さを備えているのです。

やがて谷の奥に見えてきた白く大きな山はタムセルク(6,623m)。20年前に北海道旅行をしたときに現地在住の友人K藤氏が新婚旅行で行ったタンボチェへのトレッキングの写真の中で見せてくれて以来、ずっとその名が心の中に残っていた山です。

マニ石、チョルテン、荷を運ぶロバ、ネパールの国花であるシャクナゲ。路上にはいたるところに動物たちの糞。我々にとってはトレッキング道であるこのエベレスト街道も、元来はチベットとの交易路であり、この地方に住む人々の生活路でもあります。

川を左岸に渡り返すと、ここに住んでいた日本人が植えたという見事な桜の木が満開の花を咲かせていました。そして彼方には霊峰クンビラ(5,761m)が見えています。

ところどころで休憩をとりながら、隊列はドゥード・コシが作る渓谷の中を上流へと進んでいきます。

北へ向かうエベレスト街道と東に位置するキャシャール・ヒマールへの道との分岐点モンジョにある、サガルマータ国立公園のエントランス・ゲート。国立公園事務所でネパール・スタッフが手続をしてくれて、いよいよエベレストに通じるクーンブ地方に足を踏み入れました。

ゲートをくぐったら階段を大きく下り、また橋を渡ってジョサレに入ります。

ジョサレのBishal Lodge & Restaurantでの昼食には、さっぱりしたそうめんが出てきました。朝のお粥といい、このそうめんといい、旅の2日目では胃腸に負担がかからないものを食べさせようという配慮が感じられます。

ロバのキャラバンを見送ったり、野生の鹿を遠目に見たりしながら先に進むと……。

右にドゥード・コシ(本流)、左にボーテ・コシを分ける二俣に出ました。ここで標高は約2,900m。前方には二重の吊り橋がかかっていますが、下の橋は現在は使われておらず、人も動物も上の橋を渡ることになります。

五色のタルチョがはためいているのは、落ちても成仏できるようにということ?そうではなく、風の通るところにはたいていこうしてタルチョが設置され、お経を風に乗せているのです。

それにしても凄まじい高度感!私は高いところは苦手なんですが……。

無事に橋を渡って少し上がったところにエベレストのビューポイントがありましたが、あいにくこのときのエベレスト方面は白い雲に覆われていて、エベレストを眺めることはできませんでした。ここには公衆トイレもあって、右のローカルスタイルは無料、左の西洋風は50ルピー。集金係はアラレちゃんみたいに大きなメガネをかけた可愛い女の子でした。

さらにしばらく歩いて再びトイレ休憩をとったときにそこに置かれている地図を見ると、うれしいことにナムチェ・バザールはもう目と鼻の先でした。

これがかの有名なナムチェ・バザールの入り口で、先ほどの二俣からは標高差500m強を一気に上がってきた計算になります。

ボーテ・コシ側の山腹の高い位置に開けた大きなすり鉢状の地形の中に一つの町がすっぽり収まっており、寺院もあれば宿泊所もあり、その名の通り土曜日にはマーケットが開かれます。このマーケットには低地から商人たちがやってきて半日商売して帰っていくのですが、チベットからの往来が中国の政策で禁じられたために、近年の市は低調なのだとバラサーブは言っていました。

大勢の欧米人がのんびり寛いでいるテラスや賑やかな土産物屋の間を縫うように登る階段道をひと頑張り、この日の宿Sona Lodgeに到着しました。

うれしいことに、ここではシャワーを使うことができました。少々お湯が細いものの、十分な温度のお湯で頭を洗い気分良し。ただし標高が3,400mを越えているここでは、シャワーを浴びたら手早く衣服を身に付けないと風邪をひいてしまいます。また、この宿ではWi-Fiが500ルピーで無制限に使えますが、夕方から天気が悪くなったために(?)インターネットにつながらない、と宿の主人にすまなそうに言われました。そして、夕食はまさかのカツ丼、たくさんの小鉢に豊富な野菜、デザートにはリンゴがつきました。

食後にはネパール・スタッフの紹介がありました。向かって左端の堂々たる体格の人物が、今回の隊のネパール側代表であるプラチリ・シェルパ。笑うと金歯がキラリと光ります。そして後に我々が「プラチリ団」と呼ぶことになるこの隊は、高所ガイド、キッチンスタッフ、ポーターからなり、写真の高所ガイドはいずれも8,000m峰登頂経験を有する強力なメンバーたちです。特にプラチリの隣のパサン・タマンとその隣のチェパ・シェルパには、この後の旅の行程を通じてロブチェ隊のメンバーもずいぶんお世話になりました。また、キッチンスタッフのヘッドはバル・バハドゥール・ライですが、この職種区分はずっと固定であるわけではなく、たとえばチェパがそうであったように、ポーターからキッチンスタッフへ、そしてガイドへと進む昇進ルートがあるようです。

なお、各人の名前の最後についている「シェルパ」「タマン」「ライ」は民族名で、上の写真で言えば右から3人目のパサン・ニマ・シェルパはシェルパ族、左から2人目のパサン・タマンは同じ「パサン」でもタマン族。チベットと結びつきが深く高所に順応しているシェルパ族と、カトマンドゥ盆地周辺の山岳に住むタマン族、かつて住んでいたカトマンドゥ盆地を出て東ネパールの山岳地帯に定住したライ族は、それぞれ異なる歴史と文化と宗教を持っており、このAG隊のように仲良く混成するケースは稀であるそうです。

▲この日の行程。

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