塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

エベレストBC〜ペリチェ

2018/04/26

またしても朝は快晴です。この時期のエベレストBCは、晴れて風もなければTシャツ1枚で過ごすことも可能ですが、天気が崩れてしまえば雪が舞い、分厚いダウンの上下で完全武装しなければ過ごすことができなくなるほどに寒暖の差が激しいところです。

エベレスト隊のメンバーはそうした(それ以上に)厳しい環境にまだあと1カ月もいなければならないのですが、ロブチェ隊はここで彼らと別れ下界を目指します。

タルチョの御利益がエベレスト隊の皆を守ってくれますように。

プモ・リをバックに全員で記念撮影。改めてこうして見ると30人強にも及ぶ大部隊です。

まず体調面から早めの下山が望まれたみこママ、ひろみさん、トコちゃんにジミーがついて、ここからヘリコプターで一足先に下ることになりました。

ついでポーターたちが先行します。その間も、名残尽きないかみちゃんたちはネパール・スタッフたちとの記念撮影に余念がありませんでした。

とうとう我々の出発のときが来ました。エベレスト隊の5人=泡爺・タムさん・沙織さん・かっつん・ヒロくん、そして彼らを率いるバラサーブの健闘と成功を祈って一人一人と握手を交わし、エベレストBCを後にしました。

しかし余韻に浸る暇もあらばこそ。下山組を引率するパサン・タマンはすごいスピードでバックキャラバンの足取りを進めます。

それもそのはず、予想外に早いペースで雪雲が広がり、ゴラクシェプを過ぎたあたりで雪が降り出しました。

途中の見事なボルダーの下で小休止、そしてロブチェではホットレモンでほっとひと息。それにしても寒い。

懐かしのロブチェBCの手前で、いっしーとポーター1人が隊列から離れます。いっしーは登山ガイドながら個人費用でこのツアーに参加していたのですが、さらに経験値を高めるため、ここからチョラ峠(5368m)を越えてゴーキョに向かうことにしていたのでした。

どんどん遠くなるいっしーとポーター。涙が出そうになるほど寂しい眺めです。いっしー、どうか無事に峠を越えて下さい。道中使う英語はブロークンでもいいが、それでも文法と発音にはもう少し気を配れよ。

トゥクラ峠のTombstone群の間を抜けてトゥクラ着。展望はまったくなしの苦行のような歩きがさらに続きます。

トゥクラの前で川を渡ったところから、行きとは異なる道に入ることになりました。往路ではディンボチェからトゥクラまで斜面の中腹をトラバースする道を歩いたのですが、復路は谷底へ下り川沿いの道を歩いてペリチェに向かいます。

幅広い谷底にはしっかりした道があり、ところどころのこうしたモニュメントに人の気配を感じながら先を急ぎます。ルートは多少の違いがあっても、おおむね行きの2日行程を帰りは1日で歩く計画になっているので体力的にはなかなか大変ですが、歩けば歩くほど空気が濃くなっていくことには元気付けられました。

やっと前方にペリチェ(標高4240m)が見えてきました。この日の宿は、大変新しくて清潔なThe Edelweiss-Phericheです。

ここで何の不安もなく、抜群においしい食事とビールとを堪能することができました。文明万歳!ここは富士山よりはるかに高い位置ですが、この日一気に1000m以上を下ってきた我々にとっては、十分に濃い酸素の中にいる状態になっていたのでした。


我々がこうして食事を楽しんでいるとき、同じ食堂の反対側に実は栗城史多氏がいました。みのっちとかみちゃんが「あれ、そうじゃない?」と言うものの、背を向けて座っている私はあからさまに振り返るのもどうかと思ったために顔を見ることはしなかったのですが、面識のあるパサン・タマンが栗城氏に話し掛けた後で我々のところにやってきて間違いなく彼であることを教えてくれました。このときは「そういえばバラサーブは『隣のテントは栗城隊だ』と言っていたが、今回はどこまで登れるのだろう」くらいに軽く考えていたのですが……。

▲この日の行程。